可愛い子には旅をさせよ。

可愛い子には旅をさせよとは、

我が子が可愛いなら

親の元に置いて甘やかすことをせず、

世の中の辛さや、

苦しみを経験させた方が良いということ。

 

私は小さい頃から、経験をしないと

本当の意味で理解できないと思っていました。机上の勉強よりもずっと重要だと思ってます。

経験をしてはじめて身をもって知るのです。

情報で知るというのと、

経験をして身を持って知るのでは、かなりの差があります。

〜このことを京都大学の教授がわかりやすく

書いてる記事があるので引用します〜

 

私たちは何か情報を得て、それを知ったとき

それでもう「わかった」気持ちになります。

単にその情報を知るーKnowing ということと

それを本当に自分のこととして理解するーUnderstanding 

「知る」と「理解」するの間には

かなり距離があるようです。

情報が入ってきて、それを一般的なこととして

受け止めてはいても、

必ずしも本当にその意味するところを理解してるわけではありません。

あるとき腑に落ちる、霧が晴れたみたいによく見えるようになるなどと言う。

自分自身で気づく瞬間があると、

私たちは今までとは全く違った世界と出会うことができます。

そこで初めて、自分の身の上に起こって「わかる」体験になります。

「身を持ってわかる」「自分で気づく」という

体験を通してこそ

本当の意味で学ぶことができる。

まさに自分の身に刻むという学び方です🍀

〜ここまでが引用〜

 

知識があっても、体験.経験に勝るものはない。

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例えばの話:  海外旅行をしたとします。

お馴染みのファーストフード店を目にしてそこへ行って注文したとします。

この人は、定員がどんなふうに聞いて注文を取るのか、お客としてどう答えればいいのか、

たとえ上手に言えなかったとしても、

この体験を学ぶわけです。

これが経験です。

似たような場合でも、

英語が堪能な人とファーストフード店に行って、この英語が堪能な人が全部注文したとします。

このもう一人の何もしなかった人は、

たとえそれを見ていたとしても、

直接定員とやり取りしたわけでもないので、

体験としては何も残らない。

何も学ばないわけです。

傍観ですから。

 

この二つの違いがわかりますか?

言葉を発した人と、

何も話さないで済んだ人の差は大きいです。

失敗を恐れたり、

間違いを恥ずかしいと思って

何もしない人は、

経験をしないから

学ばずして、何も成し遂げられない。

 

失敗や間違いをしながら、

それが経験として身になり学んだ先には、

物事を成し遂げていける力になる。

失敗したからこそ成功がある。

失敗しないで成功はない。

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これは私の体験の一つですが

私が若かりし頃に、

全く英語も話せなくて、

何の準備もしないで、

多少の現金を持って無知のまま、

初めて渡航した先がイギリスのLondon 🇬🇧でした。しかも、片道航空券‼️

これは何を意味するかというと、

イギリスは入国に厳しい国。

当時入国拒否にあった人の話など聞いていたので、私も情報としては知っていたのだけど…

イギリスは当時ポンドもすごく強くて働きに来る人も多く、イギリスで働かないようにするために外国人にはとても厳しいのです。

観光で少しの滞在で帰りのチケットもある場合はわりとスムーズに事は済むけど、

私の場合、

留学目的ではあったけど片道航空券...

飛行機のチェックインする時も、

航空会社の人にも入国できるかわかりませんよ。と成田で脅されて、

私の航空券とパスポートと何かのコピーを取っていた。

 

この話の続きは、次回に。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます😊🙏