可愛い子には旅をさせよ。②
前回からの続きになります。
長くなるかもしれません、予めご承知おきください🙇♀️
私はなんと乗り継いで、イギリスへ行きました。
案の定、入国審査に引っかかり、
帰りの航空券がないので、
ビザなしで6ヶ月滞在することが出来るから、
6ヶ月働かない証明をすることになる。
私の持っていた現金を全部披露して、
(ほら、6ヶ月働かないでいれるでしょ?)心の声
2人がかりで、日本円とドルと小切手をポンドに換算して、「まぁ、いいだろう」って感じで
通してくれた。
時間がかかったせいなのか、お迎えを頼んだのに、見当たらないし、早朝だし、
何だかわからない🤷♀️
仕方がないので、TAXIでホテルへ。
ホテルに着いても朝早くて、
チェックイン出来ない😨
荷物もあるので何時間もロビーで過ごした。
ようやくチェックイン出来る時間になり、
チェックインして、部屋に着いて荷物を置いたら、飛行機で一食とばしてしまったので、
お腹が空いていた....
レストランへ行くより早くお腹を満たしたい。
ホテルの近くでマクドナルドを見かけていたから、そこへ。
入ってびっくり⁉️日本と変わらないかと思ったら、同じマクドナルドでも違うのねー
私はちょっと違うメニューに困惑しながら、
必死で注文して、お待ち帰りした。
これが私のサバイバル生活の始まりです。
ホームスティとか今では考えられるけど
当時良い子ではなかったので、
そのうち誰かとFlatをシェアすればいい、
そのくらいに考えていた。
そして英語を話せない私はイギリス人に時には冷たくあしらわれ、
時には親切にされ、
平日は学校へ行き、週末は「STREET 」でよく掲載されていた場所へ足を運んでいた。
全てのことが予想をはるかに超えた出来事ばかりでした。いや、準備をしてこようが実際に体験することは、予定通りになんかいかない。
体験したことを自分でどう対処するかです。
そうして2週間くらいしたある日突然、
爆弾テロに巻き込まれる。
当時IRAの爆弾テロがLONDON 市内に多発していた。実際市内のあちらこちらで爆破されていたのは、ニュースでも流れていた。
当時のロンドン警察は爆弾が仕掛けられた情報が入ると、とても敏感になっていて、徹底して捜索する。そこにいる全員を非難させる。
例えば、○○町に爆弾仕掛けられているとわかったら、この○○町にいる住人全ての人が移動させられるのです。
私が巻き込まれた事件は、この区間に3つ爆弾が仕掛けられていたらしく、
当然ホテルは、宿泊客全員を非難させます。
あまりの非常事態に英語は早口で、
私は余計にわからない。
時間は、夜20:00頃だったかな。
ホテルの人がドアを叩く
「とにかく下へ降りて‼︎」
私「へっ?、何?」
何も持たないで下へ降りたら、
ロビーは人で埋め尽くされていた。
しっかり荷物を持っている人、
ショルダーバッグを持っている人、
部屋で寛いだままの人、
私も多少の荷物を取りに部屋へ戻りたかった。
せめて自分が証明できるものを持ってきたかった。
とにかく何処かへ移動するらしく、
皆んなが順番に外へ出始めた。
外へ出たら、すごい数の人民大移動。
道路が人、人、人で溢れてる。
ホテルの人達についていけばわかるだろう、
と人の後をついていった。
皆んな目的地が違うのか、そのうちだんだん人が減る。
そのうちいろんな別れ道があって.....
どこにいるのかさっぱりわからなくなり、
私は同じホテルの宿泊客の後ろを歩いているつもりだったが、混雑している時にどうやら違う人の後をついて来てしまったらしい😱😰
私はどこへ行っていいのかわからなくなり、
こんな夜に、どうしたらいいのォォォ..
そこで少し先にBarを発見、
店内は賑わっている感じで。
BARの外にも人がいたので、そこに私も紛れていようかと近くまで行ったら、
パジャマ姿にトレンチコートを羽織っただけの黒人男性に声をかけられた。
この人は酔っ払いではなく、危険ではないと感じた。
男: 「おまえは、○○ホテルか?」
(その瞬間、あっこの人はきっと慌てて部屋から出て来たんだ!)
私:「そうだよ私も○○ホテル」
男:「何があったんだ⁈」
私:「わかんない」
男:「オレ寝てたら非常ベルが鳴って、びっくりして起きて.....部屋を出て来たんだ」
私: (確か何回か非常ベル鳴ってたな🔔)
そしてそんな会話をしていたら、
私達が滞在するホテルの従業員の一人が、
私達を覚えていたらしく、見るなり
ホテルマン: 「何やってるの?こんなところで!」「みんな○○ホテルへ移動してるよ!」
と言いながら、私達を非難場所になっているホテルまで連れていってくれた。
そこへ着くと、入り口からやはり人、人、人。
まだ状況が飲み込めていない、その黒人の男と私は一緒に並んで地べたに体育座りで腰を下ろした。
私はふと横を見て、黒人の男性の膝の位置に驚き、体の作りの違いを、そんな非常事態にもかかわらず、足の長さを比べたりして遊んでた笑笑
その黒人の男性は、アフリカからロンドンにビジネスで来てて、同じホテルに滞在していたらしく、疲れて早く寝たら、非常ベルが鳴ってほんとにびっくりしたよ。って私に話してくれた。
私は彼に今英語を勉強しているところだと伝えておいた。
この非常事態をホテルの人が拡声器で説明し始めた。つかさずその黒人の男性は、
「今の説明わかった?」と聞いてきた。
「わかんない」って言うとすごく分かりやすく私に教えてくれた。
3つ爆弾💣⁈⁈😱で、警察が探してる😯
ワァオ、もし爆破されて私の荷物も吹っ飛んだら、自分を証明するものがなくなっちゃう、どうしようとか、ちょっと不安がよぎる。
トイレに行き、また黒人の男性の隣に戻る私。
(なぜか運命共同体みたいに肩を寄せ合っていた)
そして朝方、もう一ヶ所別のところに非難させられる。もう、疲れはMAX、そして眠い。
それでもその黒人の男性に気を使われて、隣に座る。
そして新聞の朝刊が配られた。
この事件のことが一面の記事になっていた。
その事件に私達は巻き込まれている。
ようやく朝の8:00過ぎ、9:00近くにホテルへ戻れた。約13時間くらいの非難生活が終わったのだ。それは長い長い夜だった。
何台もあるエレベーターは、どれも満員だったため、非常階段で部屋までもどることにした。
そう、その黒人の男性と階段で別れたんだ。
「親切にありがとう」と伝えたら
「とんでもない、じゃあな」って感じでさりげなかった。
非難生活13時間一緒にいて、彼が本当に親切でとてもジェントルマンだったことを忘れない。
本当はご飯でもご馳走したいくらいだった。またホテル内で会えると思っていた..
彼の名前がどうしても思い出せない。多分聞いただろうけど、難しかったのだ。フランス語訛りだったから。
言いようもない緊張感と、
とてつもなく疲れていた私は、とにかくベッドで横になって眠れることがなんて幸せなんだろうと思いながら学校を休んで、眠る。
次の日には、ここから離れようと思った。
そうして私は学校を解約し、少しお金が戻ったので、その足で銀行へ行き、学校からの小切手を現金化した。
その翌日にはトラベルエージェンシーに行き、スペイン行きの航空券を往復で購入した。
なぜ往復買ったかって?
戻る気はなかったけど、片道の方が高くついたから、往復で買ったの。
一週間後にはロンドンを離れることにした。
そしてロンドンを離れる日、
早朝のフライトだったので早起きして、
ホテルをチェックアウトして、
急いで地下鉄の駅へ向かう。
そしたらまだ閉まっていた。
ホテルへ戻ろうとした、その時…
日本でいう白タクに声をかけられた。
「どこまで?」
私は「空港まで」と言うと
インド人が誰かと無線で話してる。
そして「乗れ!」と言うので
つかさず私は「空港までいくら?」と聞くと
「○○ポンド」と返してきた。
マジ?安い‼︎
でもこのまま何処かへ連れて行かれたら?
そんなことも一瞬頭をよぎる..
そんなことより、もう私には空港まで行く手段がこれしかないと思った、
「すごく急いでるの!」って強調したら、
すごく飛ばしてくれた。
しかもTAXIより安くて早い。
チップも弾んだら喜んでいた。
しかしこのことを日本人に話したら、危ないらしいです。だから絶対マネしないでください。
可愛い子には旅をさせよ。というタイトルでこのことを思い出したのには、
ロンドン滞在中、ちょうどこの爆弾事件の後に両親から私の元へ手紙が届いたのだ。
事件のあった後にその手紙を読んで私はピンと張りつめていた糸が切れたみたいに号泣してしまったのです。
しかも父と母は別々の便箋に書いていて、
父からの手紙はそれが最初で最後の手紙でした。初めて読む父からの手紙は、とても感慨深いものがありました。
異国の地でいろんな体験や経験をしていることを讃えてくれました。
私はベッドで涙を流し、遠い日本にいる両親の愛情が、弱った私の心を癒してくれたことを思い出すのです。
手紙を読んだ後に、家に国際電話をかけた。
私は胸が詰まり、爆弾事件のことも言えず、
ただ「これからスペインへ行く」とだけ言って電話を切りました。
そしてその数日後に、スペインへ行ったのでした。ハハハハ😆
これが、その手紙です。全部写せないですが、当時のまま今でも大切に持っています。
最後まで読んでくれてありがとうございます😊
Facebook のジュエリーのページを作成中、あともう少しなので出来たら招待します。もう、ちらほら気づいている方もいらっしゃるみたいですね😁