記憶がなくなっていた話

梅雨らしい雨が降り続きますが

みなさま、いかがお過ごしですか?

 

私がこの湿度がとても嫌いな理由の一つには

とにかく不快、体の不調が出る。

この季節は古傷が痛みます😭

 

古傷なんてあったことも、本当に忘れていたし、過去に何かしたかな?って思い出せないでいたけど、その痛めた時のことを20 数年経った頃に思い出しました。

でもその痛めた瞬間を思い出しただけです。

 

記憶というものは、忘れゆくものもある。

自分が記憶として残っているものは、前世からの記憶だってある。

とにかく経験したことは自分に残り、刻まれていくのです。

f:id:reikojewelry:20190704155244j:image

私は24年くらい前にアメリカを旅したことがあります。それまでのヨーロッパとは違い、

アメリカのおおらかさに触れて、

どうして先に来なかったのだろう?とまで思いました。

NYは、強くてパワフルな刺激的な印象で、当時まだハーレム地区がアメリカで一番危険で近寄ってはいけないところでした。そこをTaxiに乗って通っただけでも、信号待ちがとても怖かったです😱

Santa Fe は、私の憧れの地でインディアンとスペイン文化とが混ざって統一された土壁は、他の町とは違った風土を感じるし、アーティスト達もこぞって移住している魅力のあるところです。ここで初めて地平線に沈む夕陽を見ました。日本で見る夕陽は、いつも遠くて小さいけれど、比べものにならないくらい巨大な夕陽で、大地と太陽、自然のエネルギーを強く感じるところでした。f:id:reikojewelry:20190704155307j:imagef:id:reikojewelry:20190704155312j:image

そんな感動的なアメリカの旅の途中に(その時はデンバーにいたんです)

外を歩いていたんですが……

私は頭を強打しました(強打したのは私の不注意です)

そしてその場に倒れ込んで、

目の前が真っ暗になりました。

どのくらい倒れ込んでいたかわからないけど

無理矢理起き上がり、めまいがして、気持ち悪くて、どうやら脳震盪だったらしいです。

倒れ込んでた場所から距離があったのに、どうやって自分の部屋に辿り着いたかは覚えていないです。

そして熱が出て😨

翌日も頭が痛い。熱っぽい。

自分の状態にとても不安になり、

実家へ国際電話をする。

頭を強打したことを話すと、

父は、とても意外なことを私に言いました。

「今は、脳みそが揺れてるだけだから」

「だから、大丈夫」

はぁ?でもちょっとおかしくて、

そう思ったら、とても気が楽になりました。

そして、翌日ふらふらになりながら

トラベルエージェンシーに行き

一番早い日本行きの航空券を買いました。

LAでトランジットがあって、ロサンゼルスから沢山日本人が乗り込んできました。

私の席の奥2つが日本人の大学生二人が乗り込んできて、私に英語で「すみません、通してください」と言いました。

私も英語で返して、その二人はずっと日本に着くまで私に英語で話してきました。

彼らからすると私は日本人に見えなかったらしいのです。まぁキレイな日本人ではなかったから、何て表現したらいいのだろう... ピカピカな日本人ではなかったので。その頃海外に行くと日本人はピカピカして、他のアジア人と違うのが一目瞭然でしたから。目立つというか狙われ易いNo.1でしたから、私みたいに馴染んでいて汚い感じは、狙われなかったんです🤪

私は知らない間に赤土色に焼けて、味わい深い雰囲気で、国籍の掴みどころがない風貌になっていたみたいです。

そしてフライト中は一睡もできませんでした。

なんだか眠ったら死んでしまうと思って(笑)

 

帰国してすぐに家には帰らず、

学校に行きました。

アメリカ人の恩師に会いに。

私はなぜかアメリカから学校にハガキを書いていて、それを学校の壁に貼ってくれていたんです(笑)

ボォ〜っとしながら、

昨日アメリカから帰って来て、私自分で(ジュエリー)やろうと思って〜なんて話したら、

病院に行きなさい。とお金をくれた。

そのお金は以前、学校のパンフレットに出演したモデル代だと言っていました。

思わぬ臨時収入に感激して、

何を思ったのか、

それから私は伊豆に行くのです。

吉祥寺に住んでいた頃に気に入っていたヘアサロンがあってそこにいた美容師さんが伊豆でヘアサロンをはじめていたので。

髪を切りたい衝動に駆られて、

伊豆へ行き、泊まってしまいました。

はは😅

で、ようやく実家に帰るのですが

駅からトボトボと歩いていたら、

自転車で通りすぎた人がいきなり振り向いて

私を見るなり

「レ〜〜コォォォ?」😱😲  

と母親が私に向かって叫んでいたのです。

見たことがある服だけど、娘だと思わなかったらしいです。

どこの国の人かと思ったと母は言いました。

まぁ長い髪をバッサリ切って、オールバックにして、肌は赤土色になっていて、雰囲気が全く違ったらしい。

Ha!!

でも本人は全く気にしていなくて、

そんなことどうでもよかった。

 

で、そこから6年くらい経った頃に

いろんなきっかけが重なって、

私はある期間の記憶がないことに気づいたのです。

全ての記憶がないわけではなく、

だから気づかないと言うのか、

その部分を強い衝撃とともに、

忘れさせられたのかもしれません。

でも不思議なもので、経験だけは残ってるんです。

よくあの世へは、お金や物を持って行けない。

持って行けるものは、経験だけと言います。

経験は自分の中に刻まれていくんです。

そして刻まれたことは、魂に残るんですね。

 

今では失った部分は別に気にしていません。

思い出したことも多々ありますが、

なんだかどれも他人事みたいなのです(笑)

私は自分に刻まれていることがある、

それだけで充分。

 

昔は、あぁだった、こうだったと

昔の栄光を語る人がいるけど、

それは、今が昔より劣っているからですか?

今はこうだけど、昔は違ったのよ。と言いたいのかもしれませが。

過去は過去でしかない。

そこにしがみつく必要はない。

今は、過去でも未来でもない。

今の自分が過去からの自分で未来の自分へ繋がるのです。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます🙏😊

 

 

☆最近私のブログの題材がタイムリーだったという人が何人かいて、そういうことを聞くと、とても嬉しかったりします。感想は励みになります。

密かに読んでいます。と言われても私はリアクションが欲しかったりしますが、どうしてもコメントがハードル高いという方は、下の方にある⭐️星マークをポチってしていただけたら嬉しいです。

 

☆そして私のジュエリーページからコスチュームジュエリーを消してしまいました。もし、削除したものが欲しかった!という人がいましたら、破格値でお譲り致します。f:id:reikojewelry:20190704184742j:image

 

 

Instagram 

@resameol

@reikojewelryjp ←こちらをフォローしていただいてる皆様、改装中大変ご迷惑をおかけしました。沢山の投稿がウザかったと思います🙇‍♀️

 

Facebook

Reiko jewelry