可愛い子には旅をさせよ。

可愛い子には旅をさせよとは、

我が子が可愛いなら

親の元に置いて甘やかすことをせず、

世の中の辛さや、

苦しみを経験させた方が良いということ。

 

私は小さい頃から、経験をしないと

本当の意味で理解できないと思っていました。机上の勉強よりもずっと重要だと思ってます。

経験をしてはじめて身をもって知るのです。

情報で知るというのと、

経験をして身を持って知るのでは、かなりの差があります。

〜このことを京都大学の教授がわかりやすく

書いてる記事があるので引用します〜

 

私たちは何か情報を得て、それを知ったとき

それでもう「わかった」気持ちになります。

単にその情報を知るーKnowing ということと

それを本当に自分のこととして理解するーUnderstanding 

「知る」と「理解」するの間には

かなり距離があるようです。

情報が入ってきて、それを一般的なこととして

受け止めてはいても、

必ずしも本当にその意味するところを理解してるわけではありません。

あるとき腑に落ちる、霧が晴れたみたいによく見えるようになるなどと言う。

自分自身で気づく瞬間があると、

私たちは今までとは全く違った世界と出会うことができます。

そこで初めて、自分の身の上に起こって「わかる」体験になります。

「身を持ってわかる」「自分で気づく」という

体験を通してこそ

本当の意味で学ぶことができる。

まさに自分の身に刻むという学び方です🍀

〜ここまでが引用〜

 

知識があっても、体験.経験に勝るものはない。

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例えばの話:  海外旅行をしたとします。

お馴染みのファーストフード店を目にしてそこへ行って注文したとします。

この人は、定員がどんなふうに聞いて注文を取るのか、お客としてどう答えればいいのか、

たとえ上手に言えなかったとしても、

この体験を学ぶわけです。

これが経験です。

似たような場合でも、

英語が堪能な人とファーストフード店に行って、この英語が堪能な人が全部注文したとします。

このもう一人の何もしなかった人は、

たとえそれを見ていたとしても、

直接定員とやり取りしたわけでもないので、

体験としては何も残らない。

何も学ばないわけです。

傍観ですから。

 

この二つの違いがわかりますか?

言葉を発した人と、

何も話さないで済んだ人の差は大きいです。

失敗を恐れたり、

間違いを恥ずかしいと思って

何もしない人は、

経験をしないから

学ばずして、何も成し遂げられない。

 

失敗や間違いをしながら、

それが経験として身になり学んだ先には、

物事を成し遂げていける力になる。

失敗したからこそ成功がある。

失敗しないで成功はない。

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これは私の体験の一つですが

私が若かりし頃に、

全く英語も話せなくて、

何の準備もしないで、

多少の現金を持って無知のまま、

初めて渡航した先がイギリスのLondon 🇬🇧でした。しかも、片道航空券‼️

これは何を意味するかというと、

イギリスは入国に厳しい国。

当時入国拒否にあった人の話など聞いていたので、私も情報としては知っていたのだけど…

イギリスは当時ポンドもすごく強くて働きに来る人も多く、イギリスで働かないようにするために外国人にはとても厳しいのです。

観光で少しの滞在で帰りのチケットもある場合はわりとスムーズに事は済むけど、

私の場合、

留学目的ではあったけど片道航空券...

飛行機のチェックインする時も、

航空会社の人にも入国できるかわかりませんよ。と成田で脅されて、

私の航空券とパスポートと何かのコピーを取っていた。

 

この話の続きは、次回に。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます😊🙏

 

 

 

 

 

 

ジュエリーをもっと楽しんで

桜の花に魅了され、

春の陽気が心地いい今日この頃。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

でも少し寒いですね。

厚いコートを脱いで、

徐々に薄着になっていく…

この頃から今まで上着で隠されていた部分が

露わになる 笑。

最近走っている人が増えた気がする。

気候が良くなってきて活動しやすくなってきたのと、

冬に蓄えた脂肪を落としたい人と両方かなぁ、と思います。

 

そして私も体のラインはとっても気になります。なので、ヨガに加えて最近ウォーキングもするようになりました😅

体のラインを気にするのは、

意識することは、

良いことだと思ってます。

気にしないと、どんどん気にしなくなっていきますからね。

ただ痩せてるのではなくて、

鍛えた体は、美しいですから。f:id:reikojewelry:20190403213033j:imageこの写真はIGでフォローしてる私の好きな50歳オーバーのものです。

 

躍動感のある体とジュエリーの組み合わせは、

私の好きな組み合わせです。

最高にSexyだ。Hot!だ。

(私の思うsexyは、いやらしい意味ではなく、色気です)

 

以前、自分のジュエリーブランドを展開していた頃に、自分の体を鍛えていたのですが、

夏になると引き締まった二の腕を出して、

シンプルなタンクトップ姿に

ジュエリーを合わせるのが好きなスタイルだった。f:id:reikojewelry:20190403214127j:imagef:id:reikojewelry:20190403214133j:image

写真は、今から、20年前と18年前のものです。

ちょっと恥ずかしいですが、

しなやかな筋肉をつけて

引き締めるのが、

私の中での美意識の一つです。

 

今回は何を言いたいのかといいますと、

日本人はジュエリーを、どうして華奢で小ぶりなものを好むのか?

私はずっとずっと以前から思っていた。

ジュエリーの付け方、感覚が、

さりげなく、とか目立たないもの…??

そこがジュエリーが垢抜けない一つだとも思うのです。

そしてジュエリーの歴史の違いが大きいのと、歴史が浅いと思っています。

日本人は着物👘、つまり布を纏って体のラインを隠してきた。

体のラインを出して着飾るということをしていた西洋文化とは真逆なのです。

つまり今でもその感覚は残っていて

どうしても洋服に着せられる、というのか

体のラインを出すことよりも隠す傾向にある。

体のラインを出して女性らしさをアピールすることは、意外と身についていないのです。

体形をカバーするから

姿勢も悪くなるのです。

 

ダボダボのワイドパンツに、トップスもダホっとしてる組み合わせは、とてもナンセンスです。私はこの組み合わせをする日本人を海外で見たことがあるが、恥ずかしいくらい不恰好です。スタイルが悪い上に更にスタイルが悪く見えます。ワイドパンツを履くなら、トップスは、華奢な肩や、胸の形がわかるくらいコンパクトでタイトなものを。

 

女性らしさを残すと、ジュエリーが映えます。

女性らしさをアピールすることに慣れていないから、ジュエリーを身につける感覚が乏しいのです。

何も高価なジュエリーをつけなくたっていい。

もっとコスチュームジュエリーを楽しめばいいと思ってます。

コスチュームジュエリーとは、

ココ. シャネルが火付け役として有名ですが、

宝石の価値よりも、ファッション性の高さを第一に作られたイミテーションジュエリーのことです。

1950年代 大統領夫人や、女優達もコスチュームジュエリーの虜になりました。

本物のジュエリーに不自由しなかった彼女達の心を捉えたのは、素材の価値を超えた、作り手の美意識と心意気だったのです。

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そう、ジュエリーは自分を飾るものです。

それが高くても安くても

ファッションとして身につけて楽しむもの。

そしてお守り的なもの。

その両方の意味合いがある、そこが魅力的なのです。

 

余談ですが、

昔々ベネチアにバカンスしに行った時

夏だったので、タンクトップ、短パン姿の

スレンダーなマダムが日焼けした肌にネックレスやブレスレットを何本も重ねてつけていたのが、とてもカッコよかった。

当時さっそく私は真似したりして…

でもあのカッコ良さは、焼けた肌とほっそりとしたしなやかな手足も相乗効果なんですよね…

 

日本人もスタイルが良くなってきてるし、

もっと女性らしさをアピールをして

洋服を組み合わせするみたいに、

自由にジュエリーを楽しんでよいのではないでしょうか。。。

 

私も50前にして、まだまだ女であることを楽しみ、好きなスタイルを楽しみたいと

50オーバーの写真のモデルさんを見て思うわけですよ😁

そして健康で若々しくいる為に体を鍛えたり意識することが重要だと思っています。

 

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

もうそろそろ、コメントなんかあれば嬉しいです。

 

兼ねてから思っていたこと

春うらら〜桜の木に

花が満開に咲き誇る

その光景が待ち遠しい🌸

 

先日 “アート後進国ニッポン”

というネット広告を目にした。

日経の日本に対する警鐘を促す広告です。

これを見て共感したアーティスト達が

一斉にコメントしだし、

いいね!の数は意外に多かった。

 

昔からずっと、文化の流出、

才能ある者は海外へ飛び出して行くのは

留まるところを知らない。

日本では知られていないけど

海外で知られてる日本人は結構います。

(特に文化人に多い気がします)

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☆最初の写真は最近。そして2枚目はネット広告。

 

私が昔々スペイン🇪🇸へ長逗留していた

92’〜93’の頃、

偶然辿り着いたある場所で

いろんな日本人に出会った。

絵を描く人、写真家、料理人、建築家、武道家、ファッションに携わる人、ジプシーのような旅人、登山家、デザイナー。

日本から遠く離れた地にしばらく居ると

日本のことがよ〜く見えてくる。

客観的な視点で、日本の長所や短所を

よくそこのラウンジでコーヒーを飲みながら

語り合った。

肩書きとか、学歴とか、家柄とか上辺の情報が一切関係ないところでの、

人間同士の交流が、なんて心地いいのだろう。

その経験は、「生きることの楽しさ」

を心の底から味わった私の人生に

大きな影響を与えた一つです

 

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☆写真は92’当時のスペイン

 

で、その時から感じてることが

あの広告の言葉です、後進国.....ニッポン

クリエイティブなことについて、

センスの良し悪しについて語らない。

そもそも日本人は意見を交わすことに

慣れていないのか、

あった出来事について文句は言えるけど

自分の意見を言う人はあまり見受けられない。

隠すことが美徳?

言わないことが美徳?

という風潮が日本には昔からあるからなのか....

人のことを気にし過ぎるし、

物事の本質を掘り下げてみたり、

独自の審美眼を持たな過ぎる。

判断する基準が人の評価なのです。

日本人がブランド志向が強いのはそのせいでしょう。

自分の審美眼というよりは、

「ブランドだから大丈夫でしょ。

ブランドだから良く見えるでしょ。

ブランドを買う私ってすごいでしょ。

ブランドを持つ私ってセレブでしょ。

誰々が持っていた、雑誌で紹介されてた」

こういうことだけで判断してしまうあたり。

そして日本市場のブランドビジネスはとてもイージーだと認識されている。同じブランドネームでも日本用のセレクトをされていたり本国では並んでいない日本用の商品があったりすることは、消費者はわかっていないことが、幸いなことかもしれません。

 

私がインディーズブランドをしていた若い頃

その当時、日本でも感度が良いと思われる

セレクトショップにアポを取って

売り込みをしたことがあった。

その時言われた言葉が

「これ売れますか?」

はぁぁ〜⁉️物に対する意見ではなく、

それは、クリエイティブなことをしてる我々に聞く質問ですか?(海外ではこんな質問をしてくることはまずない)

売るのは、あんた達だろうが!(心の声)

日本には育てる観念がなくなってる。

と肩を落とした。

そう、作り手が納得する意見ではなくて、

彼らは他に自分達が優位に立つ言葉がみつからなかったのです。

これは一つの例にすぎませんが、

悲しいことに物の判断ができなかったのです。

 

片や、京都にはすごい感性のバイヤーがいて

そこのセレクトショップは凄かった。

関西はやはりコミュニケーションが盛んだからなのか、京都は文化的土壌があって洗練されているからなのか、とても感性が良かった。

 

それでもやはり、

日本から産まれた芸術家、才能あるクリエイター達は海外へ飛び出して行く人は多い。

作品そのものをちゃんと見てくれるし。

ダイレクトにそれに対しての感想や意見を求めると返してくれるのが、やはり嬉しいんです。

クリエイティブなカンバセーションができるのが。

私も世界中のアーティスト達、クリエイティブな人と意見を交わしています。

自分がまた再びジュエリーを作るようになって

最近、益々盛んに交流しています。

彼らに意見を求めると、すぐに返してくれる。

そして何より感性の磨き合いをしています。

それはとても刺激的なことです。

 

あの草間彌生や、オノヨウコだってそうです。

草間彌生さんは、若い頃にニューヨークへ渡り、アート活動をしていますし、日本でこんなにも芸術家扱いされるまで相当時間かかってます。

オノヨウコさんもジョンレノンと会ったきっかけは、アートです、ジョンレノンの妻ということで有名ですが、彼女はアーティストなのです。

 

ビジネス用語で言うと、

日本はハードが優れていても、

ソフトが無いんです。

ソフトを重要視していないのが後進国ニッポンなのです。

この重要性に気がついていない。

他の先進国との違いはそこにある。

 

そして冒頭に述べたように、文化流出は留まるところがないのです。

 

 

そして私はアートのみならずジュエリー後進国だとも思うのです。

その話は、次回または別な機会に話したいと思います。

 

 

最後まで読んでいただいて、

ありがとうございます🙇‍♀️

Ciao!

 

 

 

映画は全てが詰まった芸術作品なのだ。

もう3月に入って雛祭りも過ぎ、

皆様はいかがお過ごしでしょうか?

春の陽気も時々感じ、時々寒い。

三寒四温は、春が近づく合図です。

この時の寒さは堪えます。

冬から春になるこの季節は、

なんだかワクワクするなぁ....

何か新しいことの始まりを感じて🙂

 

皆さんは、映画は好きですか?

私はもちろん、映画好きです。

大好きです。

多分、小学生の頃から好きです。

あれは小学生の頃だったか、中学生の頃だったか、定かではないけど、映画館に一日中居たこともあって、朝から行って夜帰る。

いったい何回見るの?ってくらいその映画が気に入ると何度も見てしまう。

飛行機に乗っても、片道3〜4本は見てます(笑)

無類の映画好きです。

 

映画館へはよく行きましたが、

最近はネットで好きな時間に家でみるのが好みです。

つい先日素晴らしい映画をみました。

その邦題があまりにも酷い。

原題から邦題にするのに、どうしてあんなタイトルをつけるのだろう?と

そのセンスの無さにがっかり🤷‍♀️することは

多々あるのだけれど…

邦題は「あなたになら言える秘密のこと

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原題は「The Sicret Life of words」言葉に秘められしもの

この映画は2005年に製作されたスペイン映画です。

製作はスペインなのに、全編英語が使われています。そしていろんな国が関わっています。

俳優陣も多彩です。

この映画は穏やかなテンポで流れています。

国、人種、言語の枠を感じない。

見た後に、

「とてもいい映画を見た。」と

久しぶりに感じて、頭も胸もいっぱいになり、

私の中の芯の部分がとても反応してしまいました。

 

それと同時に戦争の話もあるのだけれど

当時私は、この事をわかっていたのだろうかと考えたみた。

 

1991〜1995 クロアチアの紛争、クロアチアユーゴスラビアから分離離脱の為の戦争があった。

その当時外国メディアがCivil War という表現を使ったために、日本人は内戦という解釈だったが、クロアチアの人々は独立戦争だった。

その認識は全く異なっている。

 

日本がバブル後半の浮かれていた時代に、

私は遠い国で起こっている内戦だと捉えていた自分の無知さに肩を落としてしまいました。

 

同じ地球に住んでいる出来事なのに、

知らないなんて、

安閑として平和でいることを痛感させられました。

そして世の中には間違った情報も氾濫しているのは事実です。

タダ(無料)で得られるTVの情報は特に多い。

 

そしてこの映画の素晴らしさは、

その人間模様。

監督のイザベル・コイシュの視点が見事です。

人間の深い部分まで表現されている。

そして美しい最後.....

俳優の演技も本当に素晴らしかったし、

映画のサントラ(Soundtrack)のセンスも良かった。

映画は、映り込む全てが作品なんです。

ストーリーから、俳優の演技から、背景から、音、衣装、メイク、それらの集大成なのです。

この映画は、私にとってどれも良かったのです。

https://youtu.be/BEOEnp3jNzA

 

実は、「Me before you 」以来、

久しぶりに感動して泣きました。

感動するってとてもいい事なんです。

そして、何度も見てしまいました。

私は生きている間にどれだけの感動を

胸に刻めるのだろうか、

そう、私はその体験をしたいのです。

できるだけ多く。

 

 

最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます🙇‍♀️

本当は別な題材を考えていましたが筆が進まず、映画の話になってしまいました。

どうしても書いてると強くモノを言いたがる傾向にあるので、困ったものだと反省しています(笑) 

 

 

 

 

 

 

 

あなただって魅力的になれる

前回のブログの後半が、駆け足で書いてしまった反省もあり、

今回のタイトルの切り口をどうするのか相当迷いました。

このタイトルは、

実はコーディネートのことなのですが、

どんどん掘り下げていってしまいました。

 

 

私はジュエリーを作り上げるのも大好きですが、スタイリングするのも大好きなのです。

 

幼い頃から自分の気に入ったものを着ないと気がすまなかったらしいのですが....

 

私は凄まじい物の中から、物をチョイスchoiceすることはとても好きな作業の一つです。

その感覚はスタイリスト向きだとある人に言われたことがある。

 

私が10代後半の頃(80’後半から90’)

「STREET」というfashion magazineがありました。

LONDON のストリートにいる人達をただ撮影していた写真雑誌なのですが、

その頃のLONDON は、Rock, Punk からの流れ

で音楽、ファッション、アート、いわゆるカルチャーを牽引していた。

その空気感は圧倒する

Upper classへのアンチテーゼであり、

最高にFreedom で

10代の私にはとても刺激的で、

カッコいい!!と胸が踊りました。

そしてその時代の感性に、私はとても影響を受けています。

これは、余談ですがイギリスには階級があるのはご存知でしょうか?今は階級制度が目立ってはいませんが、実はあのベッカムだってあんなに稼いでメイドも雇っていますが、実際は労働者階級なのです。

 

話しを戻しますが、

大量のパーツから使うものを選ぶとか

大量のアイテムから物を探すとか

とにかく物を選別することは、

実際私の仕事の一部ですが

撮影のスタイリングを自然にやっていたように、

その人に合うものをセレクトしてスタイリングするとか

イメージに合うコーディネートをするとか

その人の魅力を引き出すのが大好きなのです。

その人が今の自分に対する概念から、

違う見方をしてあげる。

そうすることで新たな自分を発見する。

本来の自分を把握する上での

意外な自分。

それに気づくだけでも今までより

5倍は楽しくなる。

 

私は「収まる」

いわゆる予定調和なコーディネートが好きではない。

きちんとした人には見えるけど、

私の目には、あまり魅力的にはうつらない。

それが良いか悪いかということではない。

魅力的かどうかである。

私は個性とアイテムの相乗効果が好きです。

そこにはhumorユーモア、interesting 面白さを感じられると、一層その人が魅力的になるのです。

つまりそれは「余裕」。

金銭的な余裕を言ってるのではなく、心の余裕です。

心の余裕は決して貧しくはならないのです。

 

コーディネートに「余裕」は相乗効果にプラスされます。

キレイにまとめた予定調和ではなく

遊ぶのです。

遊び心を加えるのです。

それが大人の余裕ってヤツです。

余裕の無さは人生を楽しめていない

現れだと私は思っています。

 

PARIS には何度か行きましたが、

私が目を奪われたのは、

年齢を重ねたマダム達が

若者達よりも、思いっきりお洒落を楽しんで

カフェで一人で本を読みながら過ごしたり、

プラチナブランドのボブスタイルに

真っ赤なコートを着て

真っ赤なヒールを履き

シルクのスカーフをさらりと巻いて

街を闊歩する姿は

年を重ねたからこそ生まれる余裕と

人生を謳歌する余裕が

それはそれは、とても素敵だった。


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★写真は、私が最近見ているIGの50オーバーの人達の写真。私は歳を重ねてあきらめるのではなく、楽しんで生きたいとこれを見ながら思います。

 

日本人は「もう歳だから」とよく言います。

歳(age) だから何なのでしょう?

So what?

あきらめですか?

例えばあなたが今50歳だとして

寿命があと40年あったとします。

その40年を惰性で生きていくのですか?

日本は若さが良いとされていますが、

若ければ全て解決されますか?

私が若い時は経験も自信も余裕もなかったから

不安だらけでそんな時代には戻りたくはないなぁ…と思うけど。

年齢を重ねたからこそ

味わえることがたくさんあります。

そして年を重ねるまでの経験があります。

その経験にもっと誇りを持つべきです。

 

 

自分を愛してる人は、

人からも愛されます。

そして人を愛することができます。

 

自分に自信のある人は、

チャンスをものにすることができます。

 

自分に向き合って生きている人は、

悔いのない人生をおくることができます。

 

〜by Reiko’s words😊

 

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

ほんのささやかな呟きが、何かのきっかけ、気づきになればいいと思ってます。

 

★コーディネートのご相談もお気軽にどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしてまたジュエリーを作るのか ⓶

ブログの更新を一週間以内にしようと思っていたのですけど、忘れているわけではありません。毎日が濃厚で、ブログに追いつかなかったのです。🙇‍♀️

今回は、前回書いた続きになります。

 

順調な時代から苦難の時代へ

 

私は、あるフランスのファッションExhibitionのコンペを見つけて応募する。

そして2回目の挑戦で、

ヤングクリエイター賞を受賞。

そしてExhibitionを招待出展という形で

参加することに決まったのです。

まだヨーロッパがユーロになる前2001年

Parisパリで思った以上の反応に

やっぱりクリエィティブなことにRespect するお国柄だと、

喜びと共にワクワクしていた。

パリのExhibitionに行く前の ‘90年代

私はロンドン、スペイン、ニューヨーク、イタリアを旅していた。

当然自分の自作のリングをいつもはめていると

知らない人から「おぉ、イイネ!」と

よく声をかけられていたから、

ParisパリのExhibitionで、

日本では得られなかった

評価をようやく受けた感じがして

とても嬉しかったのを覚えています。

 

日本へ帰国する前日に、

スリル満点の体当たりの商談をほぼ一日がかりで3人で成し遂げた。

わからないながらもあの経験は、

「為せば成る、為さねば成らぬ

 何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」

Where there is a will, there is a way.

と、まぁこんな心境でした。

このスリリングな出来事は、短編映画にでもなりそうなくらい 笑。

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その後、新しい仕事の話もあり、

講師の仕事をすることになる。

自分では全く意外なことで、

私が、教える?

そんなことしていいのだろうか?

と、悩んでいたら、

その当時父(今は他界している)が、

「やってみろよ。」と言うので

私はその仕事を引き受けることにしました。

学校ではロストワックス鋳造法とデザインを教えました。

そして講師の仕事を9年もやり続けてしまいました。

父は私がこんなにやると見抜いていたのだろうか....?

 

ジュエリー制作から、

モデルの手配、撮影(メーク、スタイリング)、カタログを作って、

イベントも展示会も、

ジュエリー以外のアイテムも手がけていた。

そして店で接客するのも自分達。

とマルチにこなしていた。

本当に様々なことを経験した15年。

 

私は製作の為に5時間、多い時で8時間も

集中して作業場へ入る。

作業が終わるといつもげっそり痩せていた。

それを戻す為に食べる。

そして日々トレーニングして体を鍛えていた。

それがだんだんと追いつかなくなる。

体が悲鳴をあげるようになって、

徐々に下請けを使うことにする。

量産することを考えるようになると

デザインから原型ができ

製品が出来上がる。

私は自分のアイデンティティがなくなっていくのを感じていた。

自分がいなくても....よくなる..(ちょっと恐怖感があった)

いわゆるそれはビジネスライクにした

結果である。

商品が工業製品のように感じ、

何も伝わらない。

決してデータ上に現れない、

はめ心地や温かみ、そしてつけた時の存在感。

それらを失っていた。

私の情熱も薄れていった。

目標を失い、ビジョンが持てなくなっていた。

あらゆることが、裏目に出た。

自分達の良さが全くなくなっていった。

 

結果、全て無くなって.....終えた。

 

私達のブランドを愛してくれた人達

協力してくれた人達に

罪悪感に苛まれるようだった。

まるでナイアガラの滝へ飛び込んで

暗い海底を泳いでいるような

水面にはもう戻れないような

私は完全に沈んで、自分をなくしてしまったようだった。

 

暫くジュエリーから遠ざかり、

何も出来ないでいた。

その何もしないでいた期間

とにかく世界中のジュエリーを見たいと思い

ジュエリーデザイナー

ジュエリーアーティスト

ジュエリーエディター

ジュエラー

SNSで繋がって、

fine jewelryからcostume jewelryまでを見る日々を過ごす。

そうしていくうちに

自分の作ってきたものを否定して

妙なラグジュアリー嗜好も

考え直すいいきっかけになった。

 

時間と共に自分を取り戻していった。

何かと比較する必要もなく、

劣等感なんて持つ必要もなく、

私は自分の作りたいものを

自分のペースで作ればいいのだと

ようやく自分で自分を認めてあげられた。

自分で呪縛のようなものを手放すことができた。

そしてタイミングも重なって、

好機だと感じた。

またやってもいいのかと思えた瞬間

私が愛してやまないジュエリーを

また作りたいと思うのです。

しかも自分のテイストで 笑。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

★作品(商品)を作っていたので、これからどんどんアップしていきますので見てください。

そして気になるものは、問い合わせください。買えます。または作ります。

♦︎写真は、2001年のパリに行った時の。