どうしてまたジュエリーを作るのか ⓶

ブログの更新を一週間以内にしようと思っていたのですけど、忘れているわけではありません。毎日が濃厚で、ブログに追いつかなかったのです。🙇‍♀️

今回は、前回書いた続きになります。

 

順調な時代から苦難の時代へ

 

私は、あるフランスのファッションExhibitionのコンペを見つけて応募する。

そして2回目の挑戦で、

ヤングクリエイター賞を受賞。

そしてExhibitionを招待出展という形で

参加することに決まったのです。

まだヨーロッパがユーロになる前2001年

Parisパリで思った以上の反応に

やっぱりクリエィティブなことにRespect するお国柄だと、

喜びと共にワクワクしていた。

パリのExhibitionに行く前の ‘90年代

私はロンドン、スペイン、ニューヨーク、イタリアを旅していた。

当然自分の自作のリングをいつもはめていると

知らない人から「おぉ、イイネ!」と

よく声をかけられていたから、

ParisパリのExhibitionで、

日本では得られなかった

評価をようやく受けた感じがして

とても嬉しかったのを覚えています。

 

日本へ帰国する前日に、

スリル満点の体当たりの商談をほぼ一日がかりで3人で成し遂げた。

わからないながらもあの経験は、

「為せば成る、為さねば成らぬ

 何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」

Where there is a will, there is a way.

と、まぁこんな心境でした。

このスリリングな出来事は、短編映画にでもなりそうなくらい 笑。

f:id:reikojewelry:20190217215016j:image
f:id:reikojewelry:20190217215021j:image
f:id:reikojewelry:20190217214942j:image
f:id:reikojewelry:20190217215007j:image

その後、新しい仕事の話もあり、

講師の仕事をすることになる。

自分では全く意外なことで、

私が、教える?

そんなことしていいのだろうか?

と、悩んでいたら、

その当時父(今は他界している)が、

「やってみろよ。」と言うので

私はその仕事を引き受けることにしました。

学校ではロストワックス鋳造法とデザインを教えました。

そして講師の仕事を9年もやり続けてしまいました。

父は私がこんなにやると見抜いていたのだろうか....?

 

ジュエリー制作から、

モデルの手配、撮影(メーク、スタイリング)、カタログを作って、

イベントも展示会も、

ジュエリー以外のアイテムも手がけていた。

そして店で接客するのも自分達。

とマルチにこなしていた。

本当に様々なことを経験した15年。

 

私は製作の為に5時間、多い時で8時間も

集中して作業場へ入る。

作業が終わるといつもげっそり痩せていた。

それを戻す為に食べる。

そして日々トレーニングして体を鍛えていた。

それがだんだんと追いつかなくなる。

体が悲鳴をあげるようになって、

徐々に下請けを使うことにする。

量産することを考えるようになると

デザインから原型ができ

製品が出来上がる。

私は自分のアイデンティティがなくなっていくのを感じていた。

自分がいなくても....よくなる..(ちょっと恐怖感があった)

いわゆるそれはビジネスライクにした

結果である。

商品が工業製品のように感じ、

何も伝わらない。

決してデータ上に現れない、

はめ心地や温かみ、そしてつけた時の存在感。

それらを失っていた。

私の情熱も薄れていった。

目標を失い、ビジョンが持てなくなっていた。

あらゆることが、裏目に出た。

自分達の良さが全くなくなっていった。

 

結果、全て無くなって.....終えた。

 

私達のブランドを愛してくれた人達

協力してくれた人達に

罪悪感に苛まれるようだった。

まるでナイアガラの滝へ飛び込んで

暗い海底を泳いでいるような

水面にはもう戻れないような

私は完全に沈んで、自分をなくしてしまったようだった。

 

暫くジュエリーから遠ざかり、

何も出来ないでいた。

その何もしないでいた期間

とにかく世界中のジュエリーを見たいと思い

ジュエリーデザイナー

ジュエリーアーティスト

ジュエリーエディター

ジュエラー

SNSで繋がって、

fine jewelryからcostume jewelryまでを見る日々を過ごす。

そうしていくうちに

自分の作ってきたものを否定して

妙なラグジュアリー嗜好も

考え直すいいきっかけになった。

 

時間と共に自分を取り戻していった。

何かと比較する必要もなく、

劣等感なんて持つ必要もなく、

私は自分の作りたいものを

自分のペースで作ればいいのだと

ようやく自分で自分を認めてあげられた。

自分で呪縛のようなものを手放すことができた。

そしてタイミングも重なって、

好機だと感じた。

またやってもいいのかと思えた瞬間

私が愛してやまないジュエリーを

また作りたいと思うのです。

しかも自分のテイストで 笑。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

★作品(商品)を作っていたので、これからどんどんアップしていきますので見てください。

そして気になるものは、問い合わせください。買えます。または作ります。

♦︎写真は、2001年のパリに行った時の。